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アンコールワットはヒンズー教寺院で、地球上に存在する天国を模倣してつくられました。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン二世のために建立され、最も保存状態の良い寺院であり、建立当初から純粋なる宗教施設として残されてきました。当寺院は、古典的なクメール建築の傑作建築と言われております。

バイヨンは、12世紀末ごろから13世紀初頭にかけて建てられた豪華絢爛のクメール寺院です。ジャーヤヴァルマン王の時代に造成され、アンコールトムの中央付近に位置するアンコールで建てられた最後の寺院でもあります。また、当初は仏像が奉られた大乗仏教寺院でしたが、ジャーヤヴァルマン王の死後、アンコール王朝にヒンドゥー教が流入し、寺院全体がヒンドゥー化していき、上座部仏教と混交した寺院となっていった。

西暦967年に建立されたバンテアイ・スレイは「女性の砦」という意味を持ち、ラージェンドラヴァルマン二世が建設を始めたヒンドゥー教寺院です。実質上の建立は摂政役の王師ヤジュニャヴァラーハが行ったとされており、病気や貧困に苦しんでいる人々を助けていたことでよく知られています。

プノンバケンは、アンコールワット建立の2世紀以上も前に建立され、もともともはシヴァ神に捧げるために建てられたピラミッド型ヒンドゥー寺院です。多くの歴史家たちによると、プノンバケンはその最盛期、アンコール地域の主要な寺院であったと言われており、ヤショヴァルマン一世が、クメール王国最初の王都ロリュオスより遷都したヤショダラブラの都の中心として須弥山(メル山)を模倣して建造したと伝えられております。

プリヤカーン寺院は、ジャヤーヴァルマン7世にによって建立されました。王宮を支配していた当時の国王に討ち勝つと、その跡に自らの父を模倣して彫らせた観世音菩薩像を1191年に安置したといわれております。その全盛期には、当寺院が組織の中心として機能しており、10万人もの僧侶たちが暮らしていました。当寺院の特徴は、平面的な境内で、もともと祀られていたヒンドゥー教の神々や土地の精霊らを囲むようにして、長方形の周壁が残っています。溶樹の繁殖や彫像の盗難による損壊が大きく、今も修復が行われていますが、復元が難しい状況です。

タプロームは、バイヨン様式の寺院で、12世紀末頃から13世紀にかけて建立されたといわれております。ジャヤーヴァルマン7世によって創建された当寺院は、かつて大乗仏教の僧院として機能しておりました。一般的なアンコール様式の寺院とは異なり、周囲のジャングルからの樹木の浸食が激しい遺跡でありながらも、その絶妙なバランスが発見当時のまま残され、アンコールでも人気の高い魅力のひとつとなっております。

ジャーヤヴァルマン7世の統治下であった12世紀後期から13世紀初頭にかけて建立され、バイヨン様式の仏教寺院として知られております。その後何世紀にも渡って何人もの僧侶によって占拠されておりましたが、碑文等の歴史的史料が乏しいために建立者や開基などは未だ不明瞭なままです。

クーレン山(プノンクーレン)は、シェムリアップから48キロの位置にある聖なる山並みです。標高487メートルで、古代クメール帝国(アンコール王朝)発祥の地ともいわれております。アンコールの地で初期の寺院が建立された9世紀頃、建立に使用する砂石はこの聖なるクーレン山よりアンコールへ運ばれました。また、802年にジャーヤヴァルマン2世が宗主国であったジャワからアンコール王朝独立を宣言したのが、ここプノンクーレンなのです。

千本リンガは山のふもとに位置しており、シェムリアップ川に沿ってみられます。川底のいたるところに彫られた数多くのヨニやリンガは圧巻です。

この場所は、カンボジアには珍しいその清流と川底のヒンドゥーの神々と多くのリンガの彫刻によって、かつてのアンコール王朝最盛期のみならず、現在に至るまで、神聖な場所として崇められております。

「バライ」とは、アンコール王朝時代における建築様式の共通要素となる人工水域すなわち貯水池のことです。9世紀頃から建設が始まったとされ、巨大かつ壮大なバライ建設プロジェクトは、アンコール王権の威厳の表れともいわれております。